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神戸地方裁判所尼崎支部 昭和62年(わ)536号 判決 1989年7月18日

主文

被告人は無罪。

理由

第一本件審理の経過と公訴事実

一  当初の起訴に係る公訴事実は、「被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和六二年六月二二日午前八時三〇分ころ、普通乗用自動車を運転し、兵庫県西宮市下大市西町《番地省略》先の交通整理の行われていない交差点手前の踏切直前で停止中のA子(当三六年)運転の原動機付自転車の後方に西向きに停止後、同交差点を東から北に向かい右折すべく同車に続いて発進直後、再度同車が同交差点東詰めで停止したことでその後方約三・七メートルに停止したのであるから、自車を発進進行させるに当たり、A子運転車両の動静を注視し、その安全を確認して追突等を回避すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、右方道路を進行してくる車両との安全確認にのみ気を奪われ、A子運転車両の動静を注視せず、その安全確認を欠いたまま漫然時速約五キロメートルで発進進行した過失により、停止したままの同車後部に自車前部を追突させ、よって、同人に対し、加療約一九六日間を要する右鎖骨骨折等(関係証拠によれば、他の傷害内容は、右肩関節挫傷、右腰部から臀部筋挫傷、右肘関節挫傷、右第一指根部筋挫傷、右下腿筋挫傷を指称していたものと認められる。)の傷害を負わせたものである。」というものである。

二  これに対し、被告人及び弁護人は、その原因を含む事故の外形的事実は認めたものの、A子の傷害の事実を争ったため、追突時の状況とA子の傷害の発生の有無を中心として審理が行われ、A子や治療に当たったB医師等の証人調を施行したうえ、法医学者による鑑定とその証人尋問が行われたところ、検察官主張のA子の傷害をほぼ全面的に否定する結論が得られるに至り、検察官は、第九回公判において、本来簡易裁判所の事物管轄に属する道路交通法上の罰金一〇万円以下にあたる罪であって、A子の傷害の点を除きほぼ右公訴事実と同旨の事実である過失による安全運転義務違反を予備的訴因として追加請求し、更に、第一〇回公判(被告人不出頭につき公判準備期日)において、検察官請求のB医師を再尋問したうえで、第一一回公判において、検察官は、右予備的訴因を撤回するとともに、A子の傷害に関し、「全治約一週間を要する右腰部から臀部筋挫傷、右第一指根筋挫傷、右下腿筋挫傷、右肘関節挫傷」との、当初の起訴に係る公訴事実では主要な傷害と摘示されていた右鎖骨骨折と関係証拠上A子が最も長期間に亘って愁訴していた右肩関節挫傷を脱落させ、かつ、要治療期間も大幅に短縮した内容の訴因変更請求をしたうえ、被告人に対し罰金五万円の求刑をなしたものである。

第二当裁判所の判断

一  まず、関係証拠に基づいて、本件事故の状況、A子の受診に至る経緯、B医師の診断内容等につき、順次考察を加えることとする。

1  最初に、事故の状況については、被告人の検察官(二通)及び司法警察員(二通)に対する各供述調書、第四回公判調書中の証人A子(一部)、第五回公判調書中の証人Cの各供述部分、A子の検察官及び司法警察員(二通)に対する各供述調書、司法警察員作成の各実況見分調書、司法警察員作成の各写真撮影報告書を総合すれば、①被告人は、昭和六〇年以来タクシー会社に運転手として勤務していたものであるが、昭和六二年六月二二日午前八時三〇分ころ、普通乗用自動車に客二人を乗車させて、兵庫県西宮市下大市西町《番地省略》先の交通整理の行われていない交差点東手前の踏切に差し掛かり、その直前で停止中のA子運転の原動機付自転車の約一・五メートル(被告人運転車両の運転席から先端部分までの距離は約二・二メートルある。)後方に西向に一旦停止した、②しばらくして遮断機が上がりA子運転車両が発進したので、被告人も、追従発進したが、南北の交差道路からの通行車両があったことで、A子運転車両が停止したため、その後方約一・五メートルの踏切内に再び停止後、南北の交差道路の車両を何台かやり過ごしてから、北方約四四メートルの地点に南進する普通乗用自動車を認めたものの、同車より自車が先に右折北進可能と速断し、A子運転車両も同様の判断のもとに当然発進するものと軽信して、先を急ぐ余り右南進車両に気を奪われて時速約五キロメートルで発進を開始して、約一・五メートル進行して前方を見た瞬間、停止したままのA子運転車両の後部にほぼ真っすぐに自車前部を追突させた、③被告人は、追突と前後して急制動の措置を講じ、約一・一メートル進行して停止し、一方、A子は両足を地面に付けたまま停止していたが、追突により車両ともども前方に約二・二メートル押し出されて停止したところ、A子は、車体が左に倒れそうになったのを防ぐ動作をした結果、両手で握ったままのハンドルも右方を向いて、身体全体も右に捩れる形になり、左足は前に出して踏ん張り、右足は後ろに引いて突っ張った恰好となり、最終的に車体は左に傾いた状態だったが、完全には倒れてはいない、④追突した部位の状況は、被告人運転車両は前バンパー右側から〇・五メートル地面から高さ〇・五五メートルの位置に米粒位の凹損が認められ、A子運転車両は後部荷台を形成している金属製支柱の内側の一部にいわゆる押し込み跡が見られたものの、A子も当時気が付かないほどで、実況見分担当警察官も実害はないと判断した、ことがそれぞれ認められ、なお、第四回公判調書中の証人A子の供述部分中には、A子は、追突した弾みで、まず左側ブレーキが握っていた左手からはずれたうえ、まもなく左手に握っていた左側ハンドルも支え切れなくなってはずれてしまい、右手のみでブレーキとハンドルをもった状態になり、最終的に左ハンドルが地面に接したとあるが、前掲各証拠に照らし俄かに措信できない。

2  続いて、事故後A子が受診に至る経緯については、被告人の検察官(二通)及び司法警察員(二通)に対する各供述調書、第四回公判調書中の証人A子の供述部分、A子の検察官及び司法警察員(二通)に対する各供述調書、検察官作成の電話聴取書、押収してある事故診療録一冊、同労災診療録一冊、同労災診療録写一冊を総合すれば、①事故直後、被告人が、A子に対し、大丈夫かと問質した際、A子は特に身体に異常ある言動はしなかったため、被告人としても、病院で診察する措置は講ぜず、要望により連絡先を記載した書面をA子に交付して、その場は別れたが、A子は、事故の翌日の午前中に被告人の勤務先に架電し、事故で具合が悪くなったので診察を希望するとの意向を伝え、同日午後になって被告人の勤務先と電話で協議した結果、同日午後三時四五分ころ、被告人ともども警察に出頭して人身事故として届出をなしたうえ、被告人の勤務先から紹介してもらった病院の指示でD外科病院に赴き、同日午後七時四〇分ころから、B医師の診察を受けた、②A子は、事故後、そのまま事故車両を運転して勤務先に赴き、当日は平常どおり右手で操作するレジ係として稼働してやはり事故車両を運転して帰宅し、翌日も事故車両で出勤して仕事をしてから、事故車両を運転して警察に届出をなしたが、D外科病院にはタクシーを利用し、その後の通院も同様であった、③A子は、事故から三日目である同月二四日から同年九月三〇日まで休職し、かつ、同年六月は、初診の二三日、二六日、二九日、三〇日の四日間、同年七月は二七日間、同年八月は二〇日間、同年九月は二四日間、同年一〇月は二六日間、同年一一月は一九日間、同年一二月は二四日間、昭和六三年一月は一五日間、同年二月は一三日間、それぞれ通院して主に鎮痛剤等の投薬や電気治療等を受けているが、治療費の支払は、被告人側が傷害を認めなかったため、昭和六二年八月末まで自賠責保険を、同年九月一日からは労災保険を各利用した、ことがそれぞれ認められる。

3  ところで、A子自身の傷害の認識内容に関しては、昭和六二年六月二五日付の司法警察員に対する供述調書中では「事故当時は何の痛みもなかったのですが、夜になってから肩・腰・右足にかけての右半身が重くだるい様な感じの痛みが出て来たのです。事故に遭うまでこんな事もなかったし、その日も別に思い当たる様な事も無かった。体を突っ張ったり、捩った分だけこのような体に異常の出たことが分かったのです。翌日仕事に出たが、夕方まで辛抱出来ると思い、すぐには病院には行かず、夕方D外科病院に行った。」旨、同年七月二〇日付の司法警察員に対する供述調書中では「D外科病院で事故のため倒れて肩・腰・足等に怪我をしたと述べて治療をしてもらったが、警察官からの要請で実は倒れていず、身体を捩った状態と説明し直して新たな診断書の交付を受けた。七月六日にレントゲン撮影で、右鎖骨骨折が明確となったことを医師から聞き、そのため骨折の治療は続いている。特に骨折の周りの部分に痛みを感じる。骨折の原因については、身体を捩った為に起きたと思う。他の箇所については、足を踏ん張ったり、身体を捩ったときに怪我をしたと思う。」旨、同年一〇月一六日付の検察官に対する供述調書中では「事故に遭ったその日の晩ころになって、今までそんなことがなかったのに右肩のあたりから右手の先にかけてだるく重たい感じになって来たので、翌日被告人の勤務先に連絡して警察に事故の届出をした。事故の翌日は朝起きたときから、前の晩に続き右肩あたりが痛かったのですが、捻挫でもしている程度に思い、勤務先で仕事をした後、警察に赴いた。D外科病院で診察の結果右鎖骨にひびが入っているようなので鎖骨バンドで固定しておくと言われた。仕事中怪我をしたこともありませんし、日常家事をするだけで怪我を負うこともない。自信をもって今度の追突事故で怪我を負ったといいきれる。」旨それぞれ供述している(なお、昭和六三年五月三〇日の第四回公判における「事故により左下腿内側に痣もできた。事故当日の仕事中に右半身が捻挫したかなとの変な感じがあった。」旨の供述は前記捜査段階での供述に照らして既に信用できない。)。

4  なお、診療録に記載されたA子の愁訴内容は、鑑定人古村節男作成の鑑定書、押収してある事故診療録一冊、同労災診療録一冊、同労災診療録写一冊を総合すれば、各診療録には、昭和六二年六月二三日に「右肩から上腕、右臀部から大腿にかけて昨晩から痛み出現、頸部右を見ると痛む」、同月二六日に「右肘、右第一指根部に痛みあり、右第一指筋圧痛、右肘外側上顆部、右鎖骨部に圧痛あり」、同月二九日に「右肘、右手関節、右肩部、右下腿部に痛み」、同年七月二日「右膝、右肘、右手各関節に痛み」、同月六日「(左)肩に痛み、右臀部だるさが強い」、同月二〇日に「右肩鈍痛、右臀部痛みあったり無かったり」、同月二四日に「右上胸部、肩の痛み」、同月二七日「右肩挙手で痛み、一昨日右下腿の鈍痛」、同年八月六日に「右下肢は体重かけると背側に痛み」、同月一七日に「右肩、右肘の微かな痛み、右下肢鈍痛」、同月二四日に「右足の脱力感」、同年九月一七日に「右肩の痛み少し」、同月二四日に「右肩の痛み強い」、同月二九日に「右肩甲骨痛あり」、同年一〇月六日に「仕事昼ころから右肩部痛み強い」、同月八日に「右肩痛みそう強くない」、同月一三日に「右肩、右前腕、肘の痛み」、同月一五日に「肩の上腕の痛みあり、仕事終了後は右肩から右上腕の痛み」、同年一一月五日に「天気悪いと右肩の痛み、右腕の鈍痛」、同月一二日に「右肩から右前腕の痛み、右臀部から右膝下肢の痛み、アキレス腱部伸ばすと痛み」、同月一七日に「右肩、肘、右アキレス腱部の痛み」、同月二四日に「右腕の軽度痺れ感、アキレス腱部痛み」、同年一二月一日に「右肩、前拳一杯に伸ばすと痛み、右臀部から下肢の鈍痛」、同月八日に「右肩部、右臀部に痛み前胸部痛出現」、同月一七日「使い過ぎると右肩部、上腕の痛み」、同月二九日に「右肩、上腕の少し強い痛み」、昭和六三年一月一四日に「肘屈曲位で仕事すると右上腕から前腕の痛み、頸部の張り」、同月二五日に「寒い日、降雨の日に痛みあったりなかったり」、同年二月八日に「右肩運動後鈍痛、頸部前屈で張る感じ」、同月一五日に「右肩から肩甲部にかけ夕方に強い痛み」、同月二二日に「忙しかった仕事後右肩から前腕の痛み」、同月二九日に「頸部、右肘の僅かな痛み、右肩の鈍痛」等の記載があり、A子は、概ね、同年八月ころまでは肩部・足部・臀部、同年九月、一〇月は肩部、同年一一月、一二月は肩部・下肢部・臀部、翌一月、二月は肩部・頸部を主として愁訴していたものといいうる。

5  そして、治療を担当したB医師の診断内容については、証人Bに対する当裁判所の各尋問調書、鑑定人古村節男作成の鑑定書、医師D作成名義の昭和六三年六月二三日付診断書、司法警察員作成の捜査復命書、押収してある労災診療録一冊を総合すれば、A子を初診したD外科病院の救急医学が専門という勤務医であるB医師は、事故の翌日時間外診療として、A子を診察し、右肩から上腕、臀部から大腿部にかけての痛み、頸部を見ると痛む旨の愁訴を聞くとともに、その原因として原動機付自転車で停止中後方よりタクシーに追突され転倒したとの説明を受けたうえ、レントゲン写真を撮影したところ、右鎖骨部分に骨折点らしきものを認めたため、同日の段階では、右肩打撲、右腰部から臀部打撲兼筋挫傷、右鎖骨骨折(疑)で全治二週間を要する見込みと診断したこと、また、同月二六日に再診した際には、右第一指根部、右肘等に痛みが出現したと訴えており、同年七月六日にレントゲン写真を撮影したところ、骨折線が骨の下まで明確に伸びており、該部分を押えて見ると痛みがはっきりとしていたので、右鎖骨骨折と判断し治療することにしたこと、その後、警察から、右診断の根拠の説明を求められて、身体の転倒や強打がなく、身体を捩ったり踏ん張ったりした時の痛みであれば、打撲でなく筋挫傷である旨回答し、同月二〇日には、A子が、事故の状況につき転倒していず、身体を捩ったものであるとの訂正供述をしたため、これらを踏まえて同日付のD名義の診断書に右肩関節挫傷、右腰部から臀部筋挫傷、右鎖骨骨折、右肘関節挫傷、右第一指根部筋挫傷、右下腿筋挫傷で今後約一箇月の加療を要する見込みと記載したが、右各傷害のうち右鎖骨骨折及び右肩関節挫傷を除いた各傷害の治療期間は発症から約一週間と判定されるとしていること(検察官が主張する訴因変更後のA子の傷害はこれに根拠をおいているものである。)、そして、同年九月一日から記帳が開始されている労災診療録には、D外科病院院長のDが診察して記載したと窺われる右肩関節挫傷、右鎖骨骨折、外傷性頸腕症候群の傷病名がある、ことがそれぞれ認められる(なお、証人Bに対する当裁判所の昭和六三年五月一〇日付の尋問調書によれば、刑事訴訟法三二一条四項書面として証拠採用されている昭和六二年七月二〇日付のD作成名義の診断書は、現実にはB医師が診断しながら便宜上院長であるD名義で記載作成したとされているから、その作成の真正を欠き証拠能力がないといわざるを得ない。)。

6  しかして、以上1ないし5の諸事情に、被告人も、昭和六二年六月二五日付、同年八月一日付の司法警察員に対する各供述調書中では、本件交通事故によるA子の傷害を否定していないこと(もっとも、その後作成された検察官に対する各供述調書では、全面否認に転じている。)をも勘案すれば、前記認定のとおり本来同一事故に起因しているはずであるところのA子が強調する右鎖骨骨折と右肩関節挫傷を訴因から撤回したことと残余の傷害を認定することとが整合性を有するかどうかとの点を別にすれば、変更後の訴因を是認し得るようにも思われないでもない。

二  しかしながら、一方で次のような諸点を指摘することができる。

1  まず、追突時の衝撃度については、具体的数値は不明であるが、前記認定のごとく、重量の差が大きい原動機付自転車と普通乗用自動車の追突事故であって、現に原動機付自転車は前に押し出されていることは否定できないものの、追突は側面からではなく後方からであって、発進速度も低速で衝突までの距離も短く、制動措置も講じているうえ、双方の損傷も軽微であって、原動機付自転車の衝突部位も金属製の支柱でいわゆる剛体ではなく、重心の不安定な二輪車ながら転倒にまで至っていないこと等からすれば、A子が検察官に対する供述調書や第四回公判において供述するようなかなりの衝撃があったものとは俄かに考え難い。

2  次に、前記認定の追突後のA子の姿勢からみるかぎり、鑑定人古村節男作成の鑑定書の指摘を待つまでもなく、A子の身体の右半身ばかりでなく左半身にも負荷がかかってもよさそうに考えられるのに、A子の愁訴は総て右半身に集中していること、また、前記認定のとおり、A子は、事故直後は特段の身体の異常は認識していず、そのまま勤務先で右手を頻繁に動かすレジ係従って当然直立した姿勢での作業であったと推認される仕事に従事していた際にも何ら痛みを感じていず、事故車両を運転して帰宅後、事故後ほぼ半日経過した時点で、肩腰足等広範囲に亘って一度に不調を覚えたとしていること(証人Bに対する当裁判所の昭和六三年五月三〇日付の尋問調書によると、B医師も、同一事故に基づく多彩な症状が、時間が経過した後に同時的に発現する可能性は低いとしている。)、加えて、前記認定の事実関係からして、右第一指根部と右肘の痛みは、早くとも事故から二日経過し、それも、B医師の診断を受けた後に自覚されたものであるとせざるを得ないこと等は、いずれも不自然さを免れない。

3  また、前記認定のとおり、A子は、初診時に、B医師に対し、事故の状況につき転倒した旨客観的事実と相違する誇張した表現をしているのであるが、この事情につき、昭和六二年七月二〇日付の司法警察員に対する供述調書では「事故時半倒れの恰好になったため、倒れて怪我をしたと話した。別に他意はない。」旨、第四回公判では、「日常的に、つまづくときでもこけると言っているので、倒れかけたのをこけたと表現した。」旨それぞれ説明しているのであるが、既に人身事故として警察に届出をなした後であり、しかも、A子は適切な治療を求めての初診の患者であったはずであることにも鑑みると、右説明はたやすく納得し得るものではない。

4  更に、B医師は、前記認定のとおり、初診の段階でレントゲン写真撮影によりA子の右鎖骨骨折を疑ったうえ、二週間後には当該部分の圧痛と再度のレントゲン写真撮影の結果から、右鎖骨骨折と断定して、その治療をすることにしたもので、また、A子も骨折とされた周りの部分の痛みを特に強調しているのであるが、鑑定人古村節男作成の鑑定書、証人古村節男の当公判廷における供述によれば、右各レントゲン写真の骨透像は、骨折ではなく栄養血管が栄養孔から骨内に入っている状態であると考えられるとされており、このことは、右鎖骨骨折とされた部分に圧痛が存したとの点のみならず、ひいてはA子の訴える他の痛みの有無についても疑念を生じさせるものといわなければならない。

5  加えて、鑑定人古村節男作成の鑑定書、証人古村節男の当公判廷における供述によれば、右鑑定人も、本件事故によりA子に全治三週間以内の軽度の下肢の機能的筋肉痛が発現する可能性は否定していず、あたかもA子の愁訴を裏付けるが如くであるが(検察官も論告で同様の指摘をしている。)、前記認定の診療録の記載からも明らかなように、A子の訴える下肢部の痛みは事故から五箇月余りも後に発現したとされていて、右鑑定人が示唆した病状内容と大きく相異するばかりでなく、本件事故に基づくとされる症状は、これに止まらず、むしろ右鑑定人が否定する多彩な症状が存するとされているのであるから、右機能的筋肉痛の可能性は、かえってA子の愁訴全体の信用性を減殺する方向に作用するものと認められる。

6  なお、鑑定人古村節男作成の鑑定書、押収してある診療録一冊によれば、A子は、昭和二五年八月二日生の、夫と子供二人を有する女性であるが、事故までの間に、卵巣膿腫(三〇歳ころに手術)、胃潰瘍、甲状腺肥大、肺炎(三五歳ころに入院)等少なくない既往症を有しており、抗生物質により痙攣を惹起しやすい体質であるほか、アレルギー体質でもあることが認められるところ、証人古村節男の当公判廷における供述によれば、右鑑定人は、長期間に亘って相当の頻度の通院加療が施されながら症状が消失しないとされる右肩付近の痛みに関して、B医師の説明に起因する心因的要素ないし前記卵巣膿腫手術との関連を示唆しているのみならず、A子の検察官に対する供述調書によれば、A子は事故前一年余りの間勤務先でレジ係をしていたことが認められるのであるが、一般的に類似職種についてはいわゆる頸腕症候群を発症することが知られていることからして、この仕事との結び付きも看過できない。

7  そして、鑑定人古村節男作成の鑑定書によれば、臨床医が交通事故による傷害を観察する場合には、受傷の程度が工学的法則によって評価されるべきであることから、問診において当該事故の状況や負傷者の事故後の行動等につき可能な限り詳細に質問すべきものとされているところ、証人Bに対する当裁判所の各尋問調書によっても、B医師がこれらの点に十分留意して問診した形跡はなく、前記認定のようにむしろ当初A子の説明した不正確な事故状況を鵜呑みにしたため、後に診断名の変更を余儀なくされるに至っているばかりでなく、右鎖骨骨折の診断を下しているのは、結果的には誤っていたものといわざるを得ないうえ、証人Bに対する当裁判所の各尋問調書に照らすと、A子に対する診断の根拠は、右鎖骨骨折の点を除いて他覚的所見に基づいてなしたものではなく、専らA子の愁訴を資料としたものであることが明らかであること等に徴し、B医師の診断ひいては押収してある診療録一冊、同労災診療録一冊、同労災診療録写一冊の各記載の証拠価値を重視することは相当ではないというべきである。

8  最後に、殆ど決定的な事情として、鑑定人古村節男作成の鑑定書、証人古村節男の当公判廷における供述によれば、右鑑定人が、裁判所の取調にかかる大部分の証拠を資料として、事故の衝突状況等の解析を実施するとともに、各診療録やレントゲンフィルム等に医学的検討を加えたところ、当初の訴因即ち変更後の訴因においても同様であるが、検察官が主張していたA子の傷害が本件交通事故によって発生したとは考え難いとの鑑定結論に達していることが明らかであるところ、右鑑定人は多数同種の鑑定経験を有する法医学者であるうえ、鑑定に際し整形外科の専門医と法医学者の意見も参酌していて、しかも、その内容には特段の不合理な点は窺われず、従って、右鑑定結論を排斥することは困難である。

三  結局、以上の諸点を総合勘案すると、本件全証拠によっても、本件交通事故によってA子について検察官主張の傷害が発生したとするには合理的な疑いが残らざるを得ず、この疑問を解消するに足る証拠は他に見当たらない。

第三結論

よって、本件については、犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条により、主文のとおり判決する。

(裁判官 飯渕進)

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